歴史の積み重ねの中で

第52回の全国研に行ってまいりました。いくつになっても学びは楽しいです。特にこの全国研、私が第21回大会に参加したのが指導員1年目。その時も兵庫開催でした。その後、1995年に再び兵庫開催の予定でしたが大震災のため中止、その時は急遽京都・大阪・滋賀が合同で実行委員会を立ち上げて滋賀県で行いました。ウチの息子が生まれたのもその年でした。京都での開催は2回経験しましたが、その頃は公設児童館の学童ももっと余裕があったので子どもたちも含めてとても盛り上がったのを覚えています。

全体会では来賓がずらり。地元選出の国会議員・県会議員、知事代理、担当行政職員、厚生労働省… かつての来賓は学童連協役員と労働組合、あと共産党の議員さんくらいだったのが、今では大きく変わりました。まさに学童保育の発展の歴史を改めて感じる思いでした。

法律にさえなかったものが今は制度として位置づき、不完全ながらも施設基準や職員配置も定められ、職員も放課後児童支援員という名の資格が必要とされる事業となりました。どんな政権下であれ、学童保育が社会的に必要である!という方向がはっきり認識されるようになったのです。

それを動かしてきたのは他でもない私たち学童関係者です。一介の保護者がクジで保護者会長になり、その人たちがOBになっても連協組織で活躍し、いつの間にか厚生労働省とかけあうようになり・・・そんな出世物語?はこの世界でよくあることです。学童をよくしたいという保護者たち、子どもたちの成長に関わりたいという志ある指導員たち、それらが全国でがんばってきたからこそ国が動き社会が動き、今につながっているのです。強く願っていれば叶うことってあるんだと本当に思います。

虹の子がこの世界に与えてきた影響は決して少なくないと思います。今、試行錯誤しながらもいろんなことをみんなで議論して前に進めていることそのものが価値あることなのです。

そんなことを熱く語り合った夜の三宮の居酒屋。店は狭いわサシミに醤油とワサビがないわいきなり値上げされるわで若干イラっときつつも、熱いおとうさんたちや指導員仲間とともに陶然と学びの夜は更けていくのでした。

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